著者:太田光
爆笑問題の太田光さんのコラム。
論説や哲学書のような著者の考えが書かれている文章を読む意味はあるのだろうか。
この人がそう思っているだけ、で終わりそうな話だが・・・。
まずいろんな人の考えを知ること。
すなわち視点を得ること。
あちら側の考えには至らなかったなと発見があれば収穫あり。
それが正しいか正しくないかは別として、視点は多い方が考えは深まる。
あちら側の考えが正しいと気がつけば素直にアップデートすれば良し。
それでも尚、こちらが側の考えが正しいと思うならば反論を用意することで考えがアップデートされる。
なにも相手を論破して黙らせる必要はないし、本当に黙られたらこっちも得るものがなくなってしまう。
外交レベルの議論だと黙らせる必要があるかもしれないが、一般の人なら色んな意見を交換し合えばいいのではないかと思っている。
以上のように著者の考えを知ることは本を読んでいれば勝手に頭に入ってくるもの。
誰でもやっていることではないかと思う。
それをもう少し深めてみる。
考えを述べるには前提となる問題が必要になる。
著者は何を問題としてるのか、を知ること。
つまり問いを得ること。
私は読書の価値はここに集約されていると考えている。
過去に自分が結論を出したことや問題とすら思わなかったこと。
言われてみれば確かに簡単な問題じゃないなという発見があるか。
あるいはそれを求めているか。
論説や哲学といった思想につながる話は非科学的で実用性がないと思われるかもしれない。
だが、問いを発見するということは極めて科学的な話でもある。
歴史の本でも漫画でも。
なぜ? と思うことが創造の一歩であると思う。
たとえそれが著者の考えに沿わなかったとしてもその自問自答が無駄になることはない。
むしろ著者の考えを離れることが発見であり創造でもあるのだから。
流行りのビジネス書で安易に成功者の答えを知ろうなどという浅ましい読書では何も身につかない。
これは私自身、身にしみてわかったことである。
ちなみに。
ファンだから読んだというのは立派な理由であり、そういう楽しみ方を否定することはない。
むしろ私の読書の大半はこれだったりする。
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