夢じゃなかったんだな、と思ったのは今朝。
やはりどうあがいても羽生は負けたのだ。
昨年の棋聖戦を防衛してから、王位、王座、竜王、名人そして今回の棋聖と5つのタイトルを争ったが、勝ったのは竜王のみ。
竜王でも十分なのに不十分に思ってしまうのは羽生ならでは。
もはや他の棋士とは違うモノサシで測られてるのは間違いない。
羽生が陥落していく様を批判するのは論外だが、それに対して過去の実績で反論することも私の中で拒絶反応が起こった。
実績を低評価しているわけではなく、私にとって羽生は現在進行形であって欲しいのだ。
過去の人にするなよ、と。
あくまで推測だが、何より羽生自身が過去の栄光を捨て去っているのではないだろうか。
過去の栄光を捨て去れない者が栄光を手にすることはできないのだろうと皮肉なことを考えた。
永世7冠、国民栄誉賞と実績を評価された。
過去の栄光に光をあてたことで現在の羽生に陰りが出たのであれば、これも皮肉な話だ。
とは言え、私のような凡人が羽生の心配に神経を注いでいる余裕はない。
私自身の心配は山積みだ。
すがるような栄光がないことは、努力のモノサシができていない証拠で、これは栄光を捨て去れないことよりも大きな罪である。
現在進行形で悩み落ち込むばかりで、もがきかたも分からない罰に苦しんでいるのである。
この逆風感、寂寥感もまだ羽生が第一人者である、少なくとも私がそう思っている証拠ではないだろうか。
誰にも分からない、想像を超えた励みが鮮やかな足跡を残すのだろう。
私は対局が始まる前から羽生が勝つと信じるほどだが、羽生自身は勝つ自信はあっても勝つと信じたことはないはずだ。
どれだけ考えても推測の域を出ないし、考えて分かることでもない。
正解なんて羽生以外、知らないことだし、羽生自身も知らないことかもしれない。
しかし正解は得られなくとも問題の解決方法はある。
羽生が勝つこと。
以前にも書いた記憶があるが、私は羽生に対してやや残酷である。
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凡人の私にはこのくらいの栄光で十分です。
努力もせずに成功を信じるのが凡人の特徴です。
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